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日本の不動産王はどんな人?|代表2名の経営方法や不動産投資の極意を参考にしてみよう!

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日本で不動産王と呼ばれる人を知っていますか?不動産投資に興味がある人は少なくないでしょう。

しかし、不動産投資には、不動産という高価な商品が必要になるのが一般的です。銀行から高額な融資を受けて、投資物件を購入するのは勇気が必要でしょう。

そこで、不動産王と呼ばれる人が、どのようにして資産を築きあげたのかを知れば何らかのヒントが得られるかもしれません。

どのような経営方針や、どのような投資の極意があるのかを勉強することも参考になるでしょう。

 

不動産投資の方法や極意は、投資家によりさまざまです。

今回ご紹介する2人の日本の不動産王は、経営スタイルがまったく異なります。しかし、どちらも日本の不動産王と呼ぶのにふさわしい人物です。

日本の不動産王にはどんな人がいるのか?

バブル景気全盛のころには、日本に不動産王と呼ばれる人がたくさんいました。

現在、中国の投資家が日本国内の不動産を買いあさるのと同じように、日本の投資家が海外の不動産を買いあさっていたのです。

しかし、バブルが崩壊してからは、不動産王と呼ばれる人は激減しました。

長く続いた、バブル崩壊後の景気の悪い時期に不動産投資で成功している人が、真の不動産王と呼べるのではないでしょうか?

日本の不動産王とは?代表的な2名をご紹介

日本の不動産王と呼ばれる人のなかでも特に卓越した経営スタイルで不動産取引をしてきた2人の経営者をご紹介しましょう。

まさしく、日本の不動産王を代表する2人といえます。

不動産王:森泰吉郎氏

日本 不動産王

出典:http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090123/183722/

森泰吉郎氏は、恵まれた経済力を基盤に合理的な経営スタイルで、戦後の混乱期に富を築きあげた不動産王です。

アメリカのビジネス誌「フォーブス」の世界長者番付で1位を獲得した実績がある押しも押されもしない不動産王といえます。

森泰吉郎氏の経歴について

泰吉郎氏は、1904年に現在の東京都港区にあたる地域で生まれました。

生家は、米問屋と大家業を営み多くの貸家を所有する裕福な家です。生まれたときから不動産業に接する環境がそろっていました。つまり、出発の時点で既にお金持ちです。

ところが、泰吉郎氏は家業とは異なる職業を選択します。学者の道を選んだのです。大学教授として横浜市立大学商学部長を務めます。ただし、学業のかたわら家業の手伝いもしていました。

戦後の急激なインフレによる、政府の新円への切り替えに伴う引き出し制限の実施前に、預金を引き出し運用することで大きく収益を得ました。経済学者としての合理的な判断が影響しているのでしょう。

この収益を虎ノ門界隈の不動産の購入費用にあてたのです。

1955年に「森ビル」の前身である「森不動産」を設立し、翌年には「森トラスト・ホールディングス」の前身である「泰成」を設立しました。

そして、1959年に大学を退職後、不動産業に専念することになるのです。

森泰吉郎氏の経営方法とは?

特筆されるのは、合理的な経営スタイルでしょう。一般的に「学者はお金には縁がない」といわれます。

ところが、泰吉郎氏の場合は、両者が見事に一致したようです。経済学者として身につけた知識を不動産業に合理的に活かせたからでしょう。

現在の不動産業界では一般化している地域の地権者や借地権者との共同事業をいち早く行うなど、先進的な手法を取り入れています。共同事業のスタイルは、赤坂アークヒルズや六本木ヒルズの開発でも用いられました。

また、学者ならではの経営スタイルとして、社員教育にも熱心に力を注いでいました。

若手の社員に対して、社長自ら指導することも少なくなかったようです。社員に対する効果的な教育が経営基盤の質の向上に貢献しているのでしょう。

森泰吉郎氏の極意とは?

泰吉郎氏の手法は、開発地域に集中投資することです。

所有する不動産を担保に融資を受け不動産開発をし、開発した不動産を担保に、さらに融資を受けて近隣の開発を続けるというように地域をトレンド化することで資産価値を高め事業を拡大していきます。

開発地域を集中することが、地域自体の魅力を高めることになります。また、当時の高度経済成長の流れにも乗り、都市集中型への移行を背景にした手法としては、時代にマッチしたものだったのでしょう。

森ビルは、泰吉郎氏の合理的な経営思想と地域集中的な開発手法で、現在も73棟におよぶ賃貸ビルの所有により不動産業界第3位の地位を占めています。泰吉郎氏は、1993年に亡くなりましたが独自の経営スタイルが今も生きているのでしょう。

銀座の不動産王:川本源司郎氏

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/hanshirou/46715804.html

銀座にたくさんのビルを所有することから銀座の不動産王といわれる川本源司郎氏。

資産をキャッシュで持つことでも有名です。また、税金に対してもシビアな考え方を持っていました。

川本源司郎氏の経歴について

源司郎氏は、慶応大学を中退後家業の呉服屋を継ぎました。

しかし、利益のほとんどを不動産に投資しており、高度経済成長による不動産価格の上昇も影響して莫大な利益を上げることになります。

1960年に呉服屋を廃業し、飲食ビルの賃貸業に本腰を入れるのです。その後、賃貸業は順調に業績をあげ、福岡の繁華街である中州を拠点に飲食ビルを経営するようになります。さらに、1972年には営業範囲を東京に広げました。

源司郎氏は、銀座の目抜き通りに飲食ビルが少なかったことに目を付け、10階建てのビルを建築します。当時、目抜き通りの飲食ビルは、見事に需要にマッチしました。

その後、わずか5年程度で銀座に8棟のビルを所有することになります。

最盛期には、60棟以上の「丸源ビル」を所有することになるのです。

私生活の面でも、東京・熱海・ハワイに豪邸を持ち、車はロールスロイス、時計も数千万円はくだらないという、まさに不動産王といえる人物でした。

川本源司郎氏の経営方法とは?

源司郎氏の経営スタイルは、税金の支払をいかに抑えるかということがポイントです。

現に、丸源グループは赤字申告をすることで、法人税を支払ったことがないことで有名な会社でした。収益を赤字にするための手法を取り入れたのです。

たとえば、役員報酬を増やしたり、設備投資の前倒しをしたりと、さまざまな手法により赤字申告することは可能です。利益が発生した年度の翌期に赤字申告をすることで、前期の法人税が戻るなどの制度を活かすこともできるでしょう。

しかし、丸源グループの選択した節税方法は、違法なものでした。3年間で8億円程度の法人税の脱税が指摘されたのです。

やはり、どこまでが節税で、どこからが脱税になるのかを判断するのは難しいのでしょう。

川本源司郎氏の独特な価値観について

源司郎氏の価値観は「商売は自分一人でいい」というのがすべてを物語っているように思えます。

信用できるのは自分だけ、家族もいらないという考え方です。実はこの発想は資産家といわれる人には少なくありません。

バブル崩壊時には、多くの投資家が被害を受けました。被害というよりも跡形もなく消し飛んだ人も多かったでしょう。しかし、源司郎氏は、バブル崩壊にもそれほどの影響を受けなかったといわれています。

たとえば、金融機関の営業トークを信じていれば、源司郎氏も他の投資家と同様の運命をたどったかもしれません。

人を信用しないで自分の考え方や判断のみを信じたからこそ、バブルの崩壊を持ち堪えることができたのでしょう、

日本で成功した不動産王の経営方法を勉強し、不動産投資をする上で参考にしてみよう!

日本の不動産王といわれる2人をご紹介しましたが、その経営スタイルは、まったく異なります。

しかし、どちらの経営スタイルも勉強になるはずです。もちろん脱税行為はいけませんが、それ以外の部分で参考になることがあるのではないでしょうか?

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